文化体験

頼和記念館(台湾新文学の父)

  • 台湾新文学の父、思想家、医師という多方面で活躍した彰化市の偉人です。
  • 運営団体の理事長は、ご自身も医師として活躍されていて、頼和さんから影響を受けたようです。
  • この記念館は日本では認知度は低いですが、地域のいろんな人や団体が関わっていて、彰化市の人々の精神的支柱として重要な役割を担っていると思います。

頼和記念館(台湾新文学の父)

記念撮影

財團法人賴和文教基金會・賴和紀念館について

台湾文学は長期にわたって抑圧されてきました。1970年代の郷土文学論争、1980年代の政治/文化本土化を経て、台湾文学運動の波が党国の禁錮を打ち破り、1994年に賴和の百歳忌を記念して、民間が財団法人賴和文教基金会を設立しました。
第1回理事長には、賴和の孫である賴悅顔が就任しました。

1995年、賴和の長男である賴燊と長孫の賴悅顔は、賴和医館の旧址で和園ビルを計画し、賴和記念館を設立しました。同館には、賴和の遺品、書籍、書画、手稿、関連文献資料が収蔵され、彰化地域の作家の手稿文物が順次収蔵・展示され、日治時代の彰化文化人の伝統と精神を再建しています。

賴和氏について

1920年、台湾は日本統治下にあり、新しい文学運動が始まりました。彰化の医師・賴和は余暇を利用して執筆し、台湾で白話文(口語文)で創作した最初の人物となりました。

彼の作品は当時の台湾人の状況と気持ちを描写し、文学を通じて人間の平等と尊厳を追求しました。

賴和はこう述べています。「私は自分の筋肉をすべて使い果たし、田畑を整然と耕し、自分の血と汗を流し、稲やサツマイモを育て、秋の収穫が来たときには、他の人々が享受できるようにする。これが法の平等であり、時代の文明である!」

淡江大学の中文系教授である施淑は、世界文学を見渡すと、賴和の作品は資本主義帝国主義に対抗し、植民地侵略に反対する国際的な新興文学に分類され、中国大陸の五四新文学や他の抑圧された弱小民族文学と同様に、社会改革に寄与していると指摘しています。

五四運動後の魯迅と同様に、文学を通じて社会を鋭く批判し、大きな反響を呼び起こした賴和は「台湾の魯迅」とも称されています。

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